ブラックの黄色い家 -2ページ目

ブラックの黄色い家

小説、TV、映画、ゲーム、漫画、そして自身の創作のことを中心にギコギコと書き重ねていく日記です。

 スガル、サンジを奉献する

 それからしばらくして。
 ミカドは臣下からスガルが帰還したとのしらせを聞き、すぐに大安殿(おおやすみどの)にて、スガルに会うことにしました。
 大安殿とは、宮中にて帝が政(まつりごと)や重要な儀式を執り行ったり、使者や臣下が帝に拝謁する、とても大切な場所です。
 そこにある玉座からは広々とした外……朝庭ちょうていの様子が見渡せます。

 大后を連れて、奥から現れたミカドは威厳のある物腰で、玉座にお座りになりました。
 大后はその斜め後ろに控えます。
 ミカドの周りには臣下たちがずらりと勢揃いです。

 ミカドは顔を上げて、スガルがいるであろう朝庭をご覧になりました。

 ――そして、びっくりして、体が固まってしまいました。

 朝庭にスガルはいました。
 しかし、予想だにしていなかった者達もいたのです。
 それは――数え切れないほどの小さな子供達でした。

 いえ、子供というにもまだまだ幼い、生まれたばかりの赤子(あかご)、嬰児(みどりご)たちです。
 嬰児達は、総動員されているのであろう、宮中の侍女や文武百官、そして兵に抱きかかえられています。
 皆、困惑した顔をしておりました。
 スガルは絹作りを始めるために、使いに出されたことは今では宮中の誰もが知っていることでしたから当然です。

(これはいったいどういうことなのだ……)
 最初にびっくりし、そして戸惑っていたミカドは、しだいに怒りがこみ上げてきます。
(絹作りをしようというのに、嬰児を連れてきてなんとするッ)
「あなた」
 後ろから聞こえた大妃の声にミカドはハッとしました。
「落ち着いてください。と、とにかくスガルが何を話すのか待ちましょう」
 大后に小さな声でそっとそう言われ、ミカドはとりあえず、スガルが何を言い出すのか、待っていました。

 が、嬰児の一人が、むずがり、声を上げて泣き始めてしまいます。
 それをきっかけに他の嬰児たちもわんわんと泣きはじめました。
 あまりの喧噪けんそうに、平静を装っていたミカドの頬や眉がぴくぴくと動きます。
 周りにいた重臣たちもざわざわと落ち着かない様子になりました。

 たまらずミカドは耳をふさぎながら先に口を開いてしまいました。
「ス、スガル。うるさい」
 それを聞いて、ひざまずいていたスガルは朗らかに笑いました。
「ハッハッハ! そりゃあ、赤ん坊は泣くのが仕事ですからなぁ。元気がある証拠です」
 スガルは得意満面で、一度立ち上がり、ひしめく嬰児達を眺めてから、再びひざまずき、こう言いました。
「仰せの通り、国中を回りまして、産児(さんじ)を集めて参りましたっ。謹んで奉献(ほうけん)いたしますッ」
「ふむ」
 涼やかな声でミカドは頷き、何処か遠い目で晴れ渡っている青空を見つめました。
(あーもう、こやつ、どうしてくれようか)

 しばしミカドは考えました。
 スガルは、『サンジ』という言葉の意味を取り違えてしまっていたのでした。
 宮中祭司たるスガルは知恵もあり、また大変な力持ちでもあり、何をさせても仕事のはやい帝の優秀な部下ですが、うかつでそそっかしいところもありました。
 しかしまさか、こんな勘違いをするとは思ってもいなかったミカドは、どうしてやろうものかと、スガルをじっと睨みます。

「………………時にスガルよ」
「はいっ」
「わたしはシラカを通してこうも伝えたはずであるな? “【絹の衣】を作りたいから、【蚕児(さんじ)】を集めてこい”と」
「はいっ。ですからこの勅命をいただいた時、わたしは心底感動いたしました」
「は?」
「古’いにしえ(より、優れた良き帝は、蚕(かいこ)を重んじるといわれています。それは我々の大切な食料を生み出したとされる女神オオゲツヒメが、五穀(ごこく)と一緒に蚕を生み出したとされることからもあきらかでございますっ」
「お、おう」
「すなわちっ、王の中の王たる帝は土を耕し――つまり国土を豊かにし――帝の妻であらせる大后様は機織りをして蚕児の糸から絹織物を作り出すことで、民に人の営みの見本をしらしめし、国の安泰を図る……ということでございましょう? このような素晴らしきことをお考えになるミカドにお仕えできて、スガルは本当に幸せ者でございまする」

 あながち間違ったことは言っていないので、ミカドはどう言っていいかわからなくなってしまいました。
 まわりの者達も、スガルの話に感心した様子で聞き入っているのですからなおさらです。

 しかし、そこまで蚕の糸で絹織物を作り出すこと――すなわち養蚕(ようさん)のことを知っておりながら、なぜに『さんじ』という言葉のあやで、蚕児と産児。つまり、虫の蚕と人間の嬰児を取り違えてしまうのか、ミカドはそこだけが当然ながら納得できませんでした。
(こやつは、馬鹿なのか。それともわざとなのか……)

 そんなミカドの心中を知るよしもなく、「さらに!」とスガルはきりっとした表情で話を続けます。

「さらにですよ! このご命令を伝えるのに、おんみずからの御子(みこ)であらせますシラカ様をわたしへとお遣わしになったことで、わたしはミカドの聡明(そうめい)かつ慈悲(じひ)に満ちたお心に、二重の感動を覚え、身をふるわせたのでございますっ」
「ほう?」
「すなわちっ! なぜゆえに『かいこ』というわかりやすく、意味を取り違えるはずもない言葉を用いずわざわざ『さんじ』という言葉でもって命を発せられたかということでございますっ」
 まるで、“ちゃんとわかってましたよ”とでもいうような得意げなスガルの顔をじーっと見つめながら、とりあえずミカドは話の続きを聞くことにしました。
「今、ミカドの治世は平穏でございます。しかしながら皇位につかれる前は戦に次ぐ戦。地上は殺りくの嵐が吹き荒れておりました」
 臣下達がざわつきます。
 スガルの言う戦に次ぐ戦。
 殺りくの嵐とは、まさに、今のミカドが兄弟やいとこたちと血みどろの争いをしていた時のことをいっているのです。この時のことはみな、ミカドの前では決して口にしないことが常でしたので、臣下達はびっくりし、そしておののいたのでした。
 スガルはいったん言葉を切りじっとミカドを見つめます。
 ミカドもスガルをじっと見つめていました。
 そして、振り返って後ろに控えている大后をちらりと見ます。
 大后は祈るように両手を組んで、はらはらした様子でミカドを見つめておりました。
「……話を続けてみせよ。スガル」
「はい。国は豊かになりつつあるとはいえ、戦の傷あとはそこかしこにあります。この嬰児達もそうです。皆、戦のせいで親を亡くした子らや、生活の苦しさ故に捨てられた子たちでございます。御子であらせられるシラカ様を通じて『さんじ』を集めてこいと仰せになったのは、こういった子達に救いの手をさしのべ、育て、ゆくゆくは大后様の管理される土地にて、桑畑や機織りの仕事を任せるという計らいがあってのことだとお察ししたのでございます」
 そう言い終えた後、スガルは両手をつき平伏(へいふく)しました。
「うーむ」

 ミカドはしばらくの間、首を傾けて黙っていました。
 重臣達はちらりちらりとスガルとミカドを交互に見ています。
 あたりは嬰児達の泣く声だけが響き渡ります。
 やがて、ミカドは体とふるわせました。そしてくすくすと笑い始めます。
 ミカドの笑い声はだんだん大きくなり、嬰児達の泣き声に負けじ劣らぬものとなりました。
「はは、はっはっはっはっは! スガルよ、こたびの働きまことに見事であった」
 ひれ伏したままのスガルに、ミカドはこうも告げました。
「そうだな。お前には褒美を与えよう。これからは小さき子を連れてきた者として小子部連(ちいさこべむらじ)の姓(かばね)を名乗るがいい。今日からお前は小子部(ちいさこべの)スガルじゃ」
「ありがとうございますっ」
 本当にうれしそうに、スガルはそう言いました。
「あ、それと、その子らもお前に与えよう」
「ありがとうござ――え?」
 仰天してスガルは顔を上げました。
「大事に養えよ。ゆくゆくは養蚕や機織りを教えてやらねばならぬ、大切な子なのだからな。あ、それと」
 ミカドは玉座から立ち上がり、思い出したように付け加えます。
「戻ったばかりなのに心苦しいが、お前には追加で頼まれてもらいたいことがある。カイコだ。蚕をあつめてこい。よいか? わかっておろうが蚕とは“一度は這はう虫になり、一度は殻になり、一度は飛ぶ鳥になる奇しい、桑をはむ虫”のことだ」
「は、はい」
「あ、それから。当面すぐにでも養蚕ははじめたい。機織りもな。これらを得意とする者達も探し出し、集めてくるのじゃ。スガル、お前には期待しておるぞ」
「は、はいぃ……」
 そう言ってミカドは大安殿から、宮の奥へとお戻りになりました。
 大后はほっと胸をなで下ろした様子で後に続きます。 
 ミカドがいなくなると、臣下達はサッと立ち上がり、大安殿から退出していきました。

 後に残ったのはスガルと嬰児達と、嬰児を抱きかかえている兵や侍女達です。
「あ、あのスガル様。この子らを……その、どこに連れて行けばいいでしょう」
 侍女の一人がスガルにそう聞きます。
「……とりあえずは、わたしの家に」


 こうして小子部スガルは宮中の皆々に頭を下げ、頼み込み、また泣きすがって子供の世話を任すと、自らは大役を果たすため、ミカドの国や、他の国を駆けめぐりました。
 遠い遠い海の向こうにも行きました。
 そして見事、驚くほどの早さで、たくさんの蚕児……蚕と、養蚕や機織りを専門の職とする一族、秦氏(はたうじ)を見つけだし、ミカドの元へ無事帰ってきました。
 ミカドは大いによろこびました。
 宮中の人々はスガルのことを随身肺脯(ずいしんはいふ)の侍者(じしゃ)と呼び、肺や肝のように、ミカドにとってなくてはならない者だといって、褒ほめ称たたえました。


 ……ところで、なぜスガルは牢に入れられていたのでしょうか。
 それはまた次のお話で。

 おわり


 
※読んでくださった方へ

 ありがとうございます。おつかれさまでした。
 現在、この作品はアルファポリスの童話大賞にエントリーしています。
 もし、面白かったと思われた方はよろしければ、下のバナーをクリックまたは投票をお願いいたします。

 ……と、いってもこの作品は童話というより、説話・神話に脚色を加えたおとぎ話(?)みたいなものですが(;´Д`)
 次回はスガルがカミナリをつかまえてくるはなしを予定しております。
 小説家になろうサイトで公開したら、こちらでも宣伝させていただくかもしれません。
 それでは。



 スガル、サンジとってこい

 シラカ皇子は、ミカドや妃達や自分の住む場所であり、国の大事な儀式(ぎしき)や政(まつりごと)を行う場所などもある、大きくて立派な宮城(きゅうじょう)を出ると、宮中祭司(きゅうちゅうさいし)のスガルのいるところへ急ぎました。

 宮中祭司とは帝のお側につかえる神官(しんかん)のことで、神官とは本来神様をおまつりする仕事をする人のことを言うのですが、宮中祭司は、神官であると同時に帝の側近中の側近でもありました。

(でも、そんなスガルどのがなんで牢に入れられているんだろう)

 シラカ皇子は自分の母君(ははぎみ)や周りの者に聞いてみたことがあるのですが、だれもがあいまいなことを言うだけで、教えてくれませんでした。

 やがてシラカ皇子は大きなかやぶき屋根の、どっしりとした建物までたどり着くと、中に入っていきました。

 建物の中は薄暗く、太い柱が立ち並び、その間にいくつもの穴が掘られていました。
 穴には木製の柵がふたをするようにかけられていました。
 この穴が、罪を犯した人を入れておく牢なのでした。

「お、皇子様。このような場所にお越しになって、いかがされたのです」
 牢の番をしていた男がびっくりして小走りにやってきました。
「おとうさ……ミカドの勅命でまいりました。スガルどのはどこですか」
「は……」

 戸惑いつつも番兵は皇子を一つの縦穴の前へ案内しました。

 穴の中には、スガルが姿勢を正し、全く身動きせずに目を閉じて、座っていました。
 シラカ皇子は声をかけるのをためらいました。
「寝ているのですか?」
 思わず小声になって、皇子は番兵に尋ねます。
「は……牢に入られてから食べ物も水も口にされず、ずっとあのままです」
「……本当ですか?」
 シラカ皇子はにわかには信じられませんでした。
 スガルが牢に入ってからもう何日も時がたっているはずです。
 シラカ皇子はしばし無言になって、スガルの様子を注意深く見つめました。
 スガルは服装にもみだれがなく、腰の帯や、動きやすいように衣服の手首や膝下の部分に付けられた手珠てだまや足結あゆいもきちんとしていて、しかも髭ひげも伸びていません。

 スガルは背の低い、小がらな体つきのひとでした。
 一目見ただけでは、男なのか女なのかわからない顔立ちをしています。
 皇子はなぜだが、父君ちちぎみから命令を受けて意気込んでいた気持ちがしぼんでしまいました。
 声をかけてはいけないような雰囲気がスガルにはあったのです。

 と、スガルが片目をちろりと開けました。
 見上げて皇子の姿を見ると、さっきまでの石像のように動かない様子はどこへやら。慌てた様子で口を開きました。

「シ、シラカ皇子様、ここは皇子のようなお方の来るところではありません。はよう宮城にお戻りください」
 スガルの声は高くもなく低くもなく、どこか小さな子供を思わせました。
「い、いえスガル。わたしはミカドのご命令をあなたに伝えに来たのです」
 シラカ皇子がそう言うと、スガルの顔にさらなる変化がありました。
 驚き慌てふためていたのから一転、しゅんとしてうなだれてしまいます。
「ミカドのお怒りに触れたわたしは、もうケジラミ一匹ほどの価値もない男です……そんなわたしに一体どのようなご用命を?」
 そう言われて、シラカ皇子はミカドの命令を伝える前に、ふと疑問に思っていたことをスガル本人に聞いてみたい気持ちになりました。
「あ、あのー。聞いてみたいんだけど、なぜスガルは牢に入れられたのですか?」
「へ?」
 なぜそんなことを聞くんだ? とでもいう風に、スガルは首を傾げました。
(ころころとよく表情が変わるひとだなぁ)
 幼いながらも、シラカ皇子はスガルのことをそう思いました。
 当のスガルはそんな皇子の心内を知るはずもなく、あっけらかんとして質問に答えようとします。
「知らないのですか? あのですね、ミカドと大后様が宮中の大安殿(おおやすみどの)で――」
「あー! あー! あー! スガル様っ」
 番兵が慌てた様子で、二人の会話に割り込んできました。
「? なんです?」
 怪訝な顔をするスガルに、番兵は呆れたような困ったような顔をしてこういいました。
「そのことをお話しするのは、どうかと、まだその、えー、皇子様は」
「わたしが、なんです?」
 シラカ皇子は聞きたいことを遮られて少しふくれっ面になりました。
 とたんに、番兵の顔が青ざめます。

 番兵にとっては皇子も雲の上にいるような存在です。
 もし機嫌を損ねられて、もしそれが父君のミカドの耳に入ったりしたら……。
 怒りの形相で剣を振りかざす大悪帝の姿が、いとも簡単に番兵の頭の中に浮かび上がります。

「そ、その、皇子様が、もう少し大きくなられてから、お話になった方が、よろしいかと」
 小鳥のさえずりのようなか細い声でそう言う番兵に、スガルは頭をかきながら「あー、そういうもんですかね」と曖昧な返事をしてから、気を取り直したように皇子の方を見上げました。

「では、そこの番兵さんが申すようにそのことはいずれお話するとして、ミカドのご命令を伺いましょう。ええ、もう、つつしんで」

 スガルは立ち上がり、うずうずしながらそう促すので、話の続きが気になっていた皇子ですが、ミカドの勅命の方が大事だと思いいたり、命令を伝えました。

「えっとですね。“罪を許すから、サンジを集めてこい”とのことです」
「サンジ? サンジってあのサンジのことですか?」

 そう聞かれても、シラカ皇子は実はサンジのことをよく知らないのでそれ以上答えようがありませんでした。

「え、ええ。数え切れないほどの絹の衣を作れるくらいの、たくさんのサンジを集めてこいとのことです。え、えっと。それから……集めてくるまで、宮城には帰ってくるなとのことです」

 側でこれを聞いていた番兵は驚いて皇子に聞いてみました。
「ス、スガル様ひとりで集めてこいと仰おおせになられたのですか?」
「え? はい。そうです」
 ――絹の衣はたいへん価値の高いものです。
 その絹作(きぬづくり)に必要なサンジもまた、とても貴重(きちょう)で、それをたくさん集めてくるというのは、とても難しいことだったのです。
 番兵はスガルのことを気の毒に思いました。
(スガル様、大変なことになったなぁ。これではお城から――いやこの国から追放されるのと同じようなものじゃないか)

 しかし、そこまで聞いた当のスガルは、目を輝かせ、そして体を震わせました。
「おお、おおおお!」
 感極まった様子で、目に涙すら浮かべたスガルは立ち上がったか思うと、勢いよく飛び上がりました。

「うわ!」
 びっくりした皇子と番兵は身を引いて後ずさりました。

 スガルは牢穴をおおっていた木の柵を吹き飛ばし、床に軽やかに降り立つと、ぐっと握り拳をつくって胸に当て、自信に満ちた笑みを浮かべて皇子にこう告げました。

「宮中祭司のスガル。しかと勅命承(ちょくめいうけたまわり)ましたッ。では行って参ります!」

 そう言うとスガルは風のように走り去っていきました。

「は、はや……」
 とても長いこと牢に入れられていた者の動きとは思えませんでした。
 シラカ皇子は呆気にとられて、スガルを見送ったのでした。

 つづきはこちら

 ミカドと大后

 ある日、ミカドは顔をしかめながら大后(おおきさき)のところにやってきました。

 この時代の王様は、たくさんの女の人といっぱい結婚することができました。
 王の妻は妃(きさき)といい、その中でも帝の一番の妃を大后(おおきさき)や皇后(こうごう)と呼びます。

 大后はゆったりとした裳(も)をはき、衣(ころも)の上に白い領巾(ひれ)を肩から羽織ったお姿で、天女のように美しいひとでした。
「まあ、あなた。そんな難しい顔をされて、どうされたのです?」
 ミカドは背丈も高く、がっしりとした体つき。
 つり上がった眉と鋭いまなざしがとても力強くて、怖そうな顔をしているお方でした。
「おまえ、少し話がある」
 ミカドはそう言いながら、肩をそびやかして、大后の部屋にいた侍女(じじょ)や下女(げおんな)たちを鋭く睨みます。
 それだけで、そそくさと女達は部屋から出ていってしまいました。

 二人きりになってから、ミカドはいからせていた肩を落とすと、その場にどっかとあぐらを組んで座りました。
 大后も、ミカドの側に寄り添うようにしてそっと座ります。

「民が、そして一部の臣下(しんか)達までもが、おまえの悪口を言っているのだ」
「わたくしの?」
「そうだッ」

 顔を真っ赤にして怒っているミカドの顔を、大后は愛おしく思いつつも、これは危ないと思いました。
 気を荒げているミカドは本当に恐ろしく、ちょっとしたことで人の首を斬り落としてしまいかねないほどなのです。
 そんなミカドの荒ぶる心を静め、和らげることこそ自分の役目だと大后は思っていました。

「あなた、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるかッ」
「でも、わたくしはそのようなこと気にしません。どうか――」
「わたしが気にするのだッ。連中はおまえのことをなんと言っていると思う?」

 “あなたもお気になさらず”と言おうとしたのを遮られ、そう言われてしまったので、大后は困ってしまいました。
「さ、さあ。わかりません」
「やつら、おまえのことを“一族を服従させられたのに、大悪帝に媚びを売る、ずる賢くて悪い女だ”と陰口をたたいているのだ!」
「……」

 これにはさすがに大后も悲しそうな顔をしてうつむいてしまいました。
 ミカドは、かつての自分のお父さんやおじさんや兄弟達と同じように、たくさんの妃を持ちました。
 その多くは、ミカドが討ち滅ぼしたり服従させた、皇族(こうぞく)や豪族(ごうぞく)の血を引く人たちでした。

 皇族とは皇の血筋を引く一族。
 豪族とは召使いや兵隊を大勢かかえ、富や武力を持つ一族のことです。

 そういった一族の女を妃にむかえることで、ミカドは敵対する皇族や豪族を強引に納得させ、従えて味方につけたのです。

 だから大后の一族が服従させられた、というのは本当のことでした。
 しかし、大后の一族は正面きってミカドに反抗したわけでも、ミカドの方から戦をしかけたわけでもありませんでした。
 力で征伐(せいばつ)されたわけではなかったのです。
 ミカドは大后のお家に、きちんと求婚(きゅうこん)に訪れ、大后の一族は納得の上でミカドに忠誠(ちゅうせい)を誓ったのです。

「ほかの妃の一族が悪い言葉を流しているのだろうか……」
「あなた、そう物事を悪い方へと考えてはよくありません」
 そう言いながらも大后は様々な考えを頭の中で巡らせていました。

(妃の一族は本当に酷い目にあわされている者達も多い。そんな彼女たちをさしおいて第一の妃である皇后の座についたわたくしを恨んでいる者は当然いるでしょうね……それに……)

 それにミカドは大后を特別扱いしすぎているところもありました。
 大后のためだけの土地を授け、そこで仕える者達を用意するために、古代より名のある豪族を丸ごと召し抱え、与えたりしていたのです。
 ミカドは大妃に優しかっただけでなく、彼女の才覚(さいかく)も認めていたための行いでした。

 それだけ、ミカドにとって大后は特別なひとだったのです。
 大后はミカドと遠い親戚になる皇族のひとで、たいへん賢く、勇気と思いやりのある女の人でした。
 大后は何代も前の、かつて聖帝(ひじりのみかど)と人々に敬われた王の血を引く人です。


 聖帝は皇子だった時、ほかの皇子とお互いに皇位(こうい)につく|(帝になること)のを譲り合ったという、たいへん優しいお方でした。
 しかし、皇位を譲り合うこと数年。
 帝が不在のままでは国が混乱すると思い悩んだ相手の皇子が、自らの命を絶ってしまいます。
 聖帝は悲しみながらも皇位につき、死んだ皇子のためにも良き帝になろうと、世のため人のために力を尽くしたと言われています。


 そんな聖帝の血を引いているからでしょうか。
 大后は権力争いに巻き込まれた時、自らの手を汚さずに生き残ることがどんなに難しいか、よくわかっていました。
 だからこそ、ミカドの気持ちを思いやることができたのでした。
 ミカドは、そんな大后にだけは心を許すことができたのでした。

 しかし、そんなことを知らない他の人からみれば、こうなるでしょう。
“あの恐ろしくて、他人に心を許さないミカドにあそこまで気に入られるとは、どのような技をつかったのだろうか”……と。

「よし、きめたぞ」
 ミカドはやおら立ち上がってそう言いました。
「……なにをするおつもりです?」
 いやな予感がした大后はそう聞きました。
「これから先、おまえの悪口を言ったものは斬刑(ざんけい)に処す!」
「ぶふっ」
 まるで素晴らしいことを思いついたかのように、満面の笑みをうかべるミカドに大后は思わずむせてしまいました。
 斬刑とは、罪をおかした人の首を切り落として殺してしまうことです。
「どうだ?」
「どうだじゃありません。いけませんっ。何を考えているのですかあなたは!」
「ん、言った者だけでなくそやつの一族皆(いちぞくみな)にも重罪(じゅうざい)を科(か)したほうがよいか?」
「もっといけません! あなた、約束(やくそく)したではありませんか!」
「うっ」
「忘れたとは言わせませんよ。ほら、あのときの、イノシシ狩(が)りに出かけられた時のことを思い出してくださいませっ」

 大后の言う狩りでの出来事とはこのようなことです。


 天皇が一緒になってまだ日も浅かった大后と、大勢の部下を連れて狩りに出かけたとき。
 獲物はなかなか現れず、ミカドは苛々し、そんなミカドに部下達はビクビクしておりました。
 そこへ、やっとイノシシがあらわれます。
 絶好の場所に部下の一人が弓矢を構えておりましたが、その部下はたいへん臆病で、現れたイノシシに矢を射ることもできず、あたふたしてしまい、イノシシを逃してしまいます。
 ミカドは激怒(げきど)し「臆病(おくびょう)な部下など必要ない!」と、腰に下げていた剣(つるぎ)を抜き、その部下を斬り殺そうとしました。
 大后はそれをいさめ、こう言いました。
「イノシシを食べられないからと言って、大切な臣下を斬られますのでは、大悪帝とよばれてもしかたがありません。いえ、もはや大悪帝ではありません。残酷なけだものと同じです」
 それまで、ミカドにそのような言葉をかけられる者はおりませんでしたから、ミカドはたいそう驚きました。
 そして狩りの帰りに大后はこうも言いました。
「もう、むごいことをするのはやめてくださいませ。これから先も戦(いくさ)があるでしょう。あなたに仇なす者も現れるでしょう。でもせめて、無益な殺生はやめてくださいませ。民に、臣下に帝としての範(はん)を示してくださいませ……」
 ミカドはそう言われて、雷に打たれたような気持ちになりました。
 今までそんなことを面と向かって言われたことがなかったからです。
 大后の勇気と優しさに感動したミカドは、大后の言葉を聞き入れました。
 そしてしだいに大后にだけは心を開くようになったのでした。


 ――しかし、人はなかなか変われないものです。
 カッとなってしまうと、すぐにミカドは兄弟たちと血みどろの権力争いを繰り広げていた頃の自分に戻ってしまうのでした。

「し、しかしだなぁ、おまえ。イノシシ狩りの時とこれでは話が全く違うではないか」
「なにも違いませんよっ。むしろこちらの方が重大ですっ」
「だが、わたしは、耐えられないのだ。わたしは何を言われてもいい。実際ひどいことをしてきたのだからな。だがおまえは違う。わたしと一緒にいることで、おまえまで人に陰口をたたかれ、恨まれたりすることがどうしても我慢ならないのだ……」
 大后は心の中でため息をつきました
「お気持ちはたいへんうれしゅうございます。でもあなた。ここは我慢のしどころです。積み上げてきた努力は、たった一度の過ちで露と消えてしまいます。いつか、大悪帝と呼ばれない日も必ず来ます。それまでどうかご辛抱を……」
「いつまで我慢すればいいのだ。わたしは最近、悪いことは何もしていないぞ。むしろ国のために最善の努力を尽くしておる」
 でもほかの国にはちょっかいだそうとしてますよね――と、言いたいのを大后はぐっとおさえました。
「……ねえ、あなたはわたしを特別扱いしすぎていると思うのです。それが、その、わたしの陰口の原因になっているのかと」
 ミカドはきょとんとした顔になりました。
「第一の妃、皇后であるおまえを特別扱いして、何が悪いのだ?」
「……(そこに思い至らないとは……愛が深すぎてつらい)」
 大后は心の中で頭を抱えました。
 かしこいミカドですが、大后のことがからむと、他のことが一切合切(いっさいがっさい)そっちのけになってしまうのです。
「……今のわたくしはあなた様に可愛がられるだけの存在。広い土地を与えられ、しかもその土地の管理も力ある氏族に任せ、何の仕事もせず、遊びほうけているような悪女に他人には見えているのでしょう。それが陰口の原因かと」

 そこまで言ってほっと息を吐いた後、大后は慎重に言葉を選んでこう続けました。
「ですからわたしもなにか仕事がしとうございます。なにか民のため、国のためになるような仕事を」
 ミカドはあんぐり口を開けてしばし呆然としていました。
「い、いや。おまえはちゃんとやっておる。わたしも色々助かっているし、与えた土地のことも管理をしておる日下部(くさかべ)の連中に任せっきりというわけではないではないか。しっかりものだ。わたしはよくわかっておるぞ」
「ですからっ、あなた様にはわかっても、民や臣下にはそれがわかりづらいのです。大昔(おおむかし)から夫婦にはそれぞれの役割がございます。女は家にて家事の一切を取り仕切ります。田畑を耕しもします。でもわたしは侍女や下女にそれも任せっきりではありませんか」
「み、帝の妃とはそういうものだ。おまえは今のままでいい。そして、皇統存続(こうとうそんぞく)のため、いい子を産んでくれさえすれば――」
 そこまで言って帝はハッとして口をつぐみます。

 皇統存続とは、帝の血筋を絶やさないようにすることです。
 そうすることで、帝は自分の子供を次の帝にすることが良いことだとされてきたのです。
 しかしながら、仲むつまじいお二人は、まだ子を授かっていませんでした。
 気まずそうに「すまん」と謝るミカドでしたが、大后は心が傷つくどころか、ここぞとばかりに畳みかけました。
「そういえばあなた、この前、我が子を殺そうとしましたよね?」
「はあああ? え、あっ。そ、それはシラカのことか?」

 実は……ほかの妃とのあいだにミカドはすでに子をもうけていたのです。
 名をシラカといい、髪の毛が真っ白な不思議な皇子です。

 最初の子供は大后の子がいいと思っていたミカドは大后と二人っきりの時に「後に禍根(かこん)を残さぬために、いっそ殺してしまおうか」と呟いたことがあったのです。
 結果は、大后にこっぴどく怒られましたが。

「お、おまえ。あれはおまえと二人っきりの時のほんの冗談だ。本気でやるわけないだろう」
「冗談でも言っていいことと悪いことがあります! もしあのとき、わたくしが“ええ、殺しましょう”とかいったら、あなたどうするおつもりだったのですかッ!」
「わ、わかった。おまえにはかなわん。悪口を言っただけで斬刑など、血迷いごとだというのがよくわかった。うん、そうだな。あ、おまえ。新しい着物が欲しくないか。こ、こんど用意してやろう」
 ミカドはしどろもどろになってしまって、最後の方はもう自分でもわけのわからないことを口走っておりました。
「だから、そうやって与えられるばかりだから、わたくしは陰口を言われているのです」
「そ、そうであったな。うん、どうしようか」
「……未だわたしは子を授かっていません。妃としての役目をちゃんとやっていないということです」
「や、やることはきちんとしているのにな。おかしいよな」
「な・ら・ば、せめて別の仕事をして少しでも皆の範になりとうございます」
「う、うん」
「ですので、衣は自分で作ってみとうございます」
 それを聞いて、ミカドはふっと真剣な顔になりました。
「作る? おまえが」
「はい」

 粛々(しゅくしゅく)と頷く大后を見つめながら、ミカドは思案顔(しあんがお)になりました。
 その顔は、カッとなって激情にかられる怖い王でも、愛する女性のために周りが見えなくなる愚かな男のものでもなく、間違いなく賢い王者の顔でした。

「おまえはわたしの妻だ。それも第一の妃である皇后だ。木綿や麻ではなく、身にまとうものは高貴な絹の衣でなければならぬ。それを自分で作りたいというのだな?」
「はい。機織(はたお)りをしとうございます」
「……わたしは本当に良き妻をもった。それは良い考えかもしれん」
 そういうと、ミカドは部屋の出口まで行って声を張り上げました。
「おーい! だれかおらぬか!」

 ミカドが呼びかけますが、なかなか返事がありません。
 それもそのはず。ミカドが大后といる時は、みな遠慮して遠くにいることが『とある事件』以来、すっかり当たり前になっていたからです。

「おーい! くそ、まったくもう――」

 毒づくミカドの前に、真っ白な髪をした小さな子供がとてとてとやってきました。
 先ほど、お話の中に出てきたミカドの子、シラカ皇子です。

 よもや、冗談交じりにも殺す殺さないの話題に自分が出ていたとは露とも知らず、シラカ皇子はあどけない赤い瞳で背の高いミカドを見上げました。

「おとうさま、どうかされたのですか」
「シラカか。よし、ひとつ頼まれごとをしてくれるか。」
 大后のときとはまた違った面もちで、ミカドはしゃがんで我が子に目線をあわせるとそう言いました。
「は、はい」
 かしこまって背筋をただすシラカを面白そうに見つめながら、ミカドはこういいました。
「スガルのところに行って命令を伝えて来て欲しいのだ。これは勅命だぞ? しっかりこなせよ?」
「い、いま牢(ろう)にいる、きゅうちゅうさいしのスガルどののところへですか?」
 とまどいの表情を浮かべるシラカに、ミカドは「あっ、そっか」と素っ頓狂な声をあげました。
「あいつ、まだ牢にぶち込んだままだったか」
「あなた、ひどすぎ……」

 後ろから聞こえた大后の非難に、ミカドは咳払いをしました。

「ごほん! いいか、シラカ、スガルにこう伝えるのだ――」

 シラカ皇子はミカドの言葉を一言も聞き漏らさないよう、真剣に聞いていました。
 そして、“ちょくめい”を聞き終えると、「わかりました!」と元気な声を出して走っていきました。

 つづきはこちら

『宮中祭司のスガルさん』

大悪帝と呼ばれ人々に恐れられた、とある帝にお仕えする、宮中祭司のスガルさんのお話を小説家になろうサイトにてアップしました。
こちらにも1話を公開します。

よかったら読んでみてください。


1話 スガル、サンジを集める。


 大悪帝

 あるところに、人々に恐れられる王様がおりました。

 その国は他の国よりも大きくて、王様はふつうなら帝(みかど)または皇(すめらぎ)などとよばれて尊敬されるのですが、この時のミカドは、兄弟やいとこをたくさん殺したため、たいへん悪いミカドという意味で、大悪帝(だいあくのみかど)と人々に言われるくらい恐れられていました。

 なぜミカドはたくさんの兄弟やいとこを殺したのでしょう?

 それは、兄弟やいとこたちがみんな帝になりたがり、争っていたからでした。
 だれが味方で敵なのか、いつも考え、疑いあい、そして殺し合っていたのです。
 もちろんミカドもその争いに巻き込まれていました。
 いつでも、どこでも、命を奪われるおそれがありました。

 だったら――殺されるよりは、殺してしまった方がいい。
 頭がよく、力も強かったミカドはそう考えて、自分以外の、帝になろうとする者達をみんな殺して、自分が帝になったのでした。

 ミカドは大悪帝という呼び名がすごく嫌いでした。

「だって仕方がないだろう。やらなければ、こちらがやられていたのだ」

 しかし、そんなことはほかの誰にも言えません。
 言ってしまえば、「心の弱い、臆病(おくびょう)なミカド」ということになり、また新たな帝になろうとする者が現れるかもしれないからです。
 もしそうなれば、また命の危険にさらされます。

 殺されるよりは、恐れられる方がいい。

 そう考えたミカドは人々が自分を恐れている限りは、大悪帝と呼ばれたり、他にどんな悪口(わるぐち)や陰口(かげぐち)を言われても平気なふりをしました。

 ……でも、一つだけ。
 平気なふりですませられない、許せないないことがあったのです。

つづきはこちら

真・女神転生IV/アトラス

¥6,980
Amazon.co.jp

ええ、もうこれだけのために3DSを買いました。
PSVITAの方が個人的に性にあってそうなタイトルが多いんですがメガテン4だけはやりたかったのですよ……

予想以上にはまりすぎてやばかったです。時間泥棒^^;;

普段ゲーム断ちしてる分反動がすごいや……。

基本的に戦闘システムは3を継承してますね。

内容的には1や2、旧約の2を彷彿とさせるような展開やキャラクターもいてドはまりました。

しかしあれだな。
メガテンって恒例のルート分岐するまでが最高潮ってきがする。
そっからはテンションがちょっと落ち着くんだよね。



↓以降ちょっとだけネタバレ↓








Nルートのスティーヴンの台詞はちょっぴり感動しちゃった。
「君は、偏りのない世界を選んだ」とかなんとかのくだり(うろ覚え)
感慨深いですわ。基本NルートってLやCとちがってよりどころもなく、皆殺しルートってかんじなので。
あと白い人らにたいするバロウズ姉さんの分析結果は必見w

今作はストーリー、要所要所ではかゆいところに手が届くほどのわかりやすさもありましたが、
やっぱりよく考えないと理解できない(よく考えても俺には想像の域をでないようなところも多々あったw)あえて説明しないといったような従来のメガテンらしさもありました。
まあ時たまストーリーはすっ飛ばしながら悪魔合体に夢中になったりしてたってのもありますが。
(2週目からは少しはまじめにやりましたヨ)

ヨナタンとワルターの急な変貌っぷりがちょっと残念に思えた。二人ともいい奴なのになぁ。
ゆっくり怪談は洒落怖など、既存のホラーネタを動画化しているものが多いけど、これは動画投稿者さまのオリジナル。
怪談というよりオカルトホラー的な話も多い。Yさんが強すぎるw



むかしむかしのお話らしい。


ある日のことである。
里人と思しき男が玄賓僧都げんぴんそうずの元にやってきた。

玄賓僧都は三諸山みもろやまの麓に庵を構え、ひっそりと暮らしている高僧だ。


「庵主さま。庵主さま~!」

ややあって、庵からバタバタと玄賓が現れた。
「ちょ、軒先で大声を出しなさんなっ」

「あ、さーせん」

「それからその『庵主』というのはやめなされ。間違ってはいないがその呼び名は尼さんの意味合いが強い。わし、男。OK?」

「オッケイ! いや、そんなことよりあんじゅ……いや、玄賓さま。三輪の社の杉に、あなたさまの衣が引っかかってますよ」

「なんと」

玄賓は男と一緒に三輪の社に向かった。

神木の杉には、まだ衣が引っかかったままだった。
玄賓は神妙な面持ちで、衣を見上げていた。

「あれ、玄賓さま。衣の褄になんか落書きされてますよ」
「お主、字が読めるのか」
「いやだなぁ、今時の村男を舐めてもらっちゃこまりますよ……すみません。読めないです」

「あれは落書きではない。仏の教えを説く和歌だな。『三つの輪は、清く浄きぞ唐衣。くると思ふな。取ると思はじ』……つまりは施した者は“与えてやった”と思うな。施しを受けた者も過剰に“賜った”と思うな。三輪清浄または三輪空寂。施す者も、施しを受ける者も、そしてその施しの金や品、この三つはともに清浄であるべきだという意味の歌じゃ」

「へ~、誰が書いたんですかね。んなでもってなんであんなところに……」
「実はな……」

玄賓はある出来事を男に語り出した。

「ここのところ、毎日わしのところに樒と閼伽の水を持って訪れる女性がおったのじゃ」

「へ~、へへへ。玄賓様も隅におけないなぁ」

「コラ、わしはそんな生臭坊主じゃないぞ。まあ、姿格好はふつうの里の女の出で立ちじゃった、確かにさすがのわしも思わず見ほれてしまうほどの美しい女性じゃったが……コホン! と、とにかく閼伽水や樒は仏に供える物じゃ。どこかの供養の帰りにわしのところへ色々な話を聞きにやってきておったのじゃ」
「……どんな話です?」

「とりとめのない、というより難しい話じゃったのう。仏とはなにかとか、人間とはなんぞやとか……とにかく、それで、その女性が昨日も訪れて、秋も夜寒になったので上着を貸してほしいと言われてな。無論、衣をわしは貸して差し上げた」

「それがあの神木にかかっているやつですかい?」

「そうじゃ。かねがね不思議に思っておったわしは女性に住まいは何処かと問うたのじゃ」

「……やっぱ気があるんじゃ――」

「 だ ま れ 」
「さーせん」

「すると女性は『私は憂き年月を三輪の里にて住まう女です。私のことを何者かと怪しんでおられるなら、三諸の山の杉の木立にしるしを立てておくので明日いらしてください』と言って……」

そこまで言って玄賓は言葉を切った。
続きを話そうか迷っているような素振りをみて男は、「それから、どうなったんです?」
と、先を促した。

「……その場で、煙のように姿を消してしまったのじゃ」

「ふーん」
男は、驚きもしなければ「そんな馬鹿な」と笑い飛ばすようなこともしなかった。
ただ玄賓の言葉を軽く流した。

玄賓は少し気を悪くした。

「あ、信じておらんな」

「い、いや~。狐や狸に化かされる話はよく聞きますが、しかしまさか、大僧都のような偉いお坊さんでも、そういう目にあうんですなぁ。おっかないや」
「いや、実はわし大僧都は辞退してるから。そうでなきゃ山居を構えてのんびりひっそり暮らすなんてことできないから」

飄々とした男の物言いに呆れる玄賓だが、ふと真顔になった。

「それにわしの見立てでは、あの女性は狐や狸などではない……」

玄賓がそう呟いたのと、「わわわ」とあたふたした声を上げて、男が玄賓の背中に回り込んだのはほぼ同時だった。

「どうしたのじゃ」

玄賓が顔を上げると、杉の木陰に件の女性が現れて佇んでいた。

長絹(広袖の衣)と緋大口(袴)姿の出で立ち。
その顔は昨日見た顔と一緒だったが、着ている服も違うためか、今の女性には美しさや愛らしさよりも、気高さや神々しさを感じた。
なによりも、男の被り物である烏帽子を被っているのが不思議だった。

最初は巫女装束かと思ったが、これは――祝子姿の男装ではないか。

「玄賓」

思わず見とれてしまって、ジロジロと眺め回していた玄賓は女性の声でハッとした。
玄賓の背後にしがみつくように、男は縮こまって女性から身を隠している。
体が震えていないことから、怯えているのではないと玄賓は看破していた。

ならばなぜ女性から身を隠そうとするのか……。
とりあえず玄賓は男のことは無視することにした。

「あなたはどこのどなたです? どうか名前をおっしゃってください」

「わたくしは三輪の神」

さすがにこれには玄賓も驚いた。

「三輪の神とは……三輪明神、大神おおみわの大神さまであられると仰るのですか」

女性――三輪の神はそれには答えず、物憂げな顔をそっと伏せた。

三輪神は古くから三諸山に祀られている神で、様々な権能を持ち、時には大いに世を祟ったともいわれる、三輪の地においては古くから深く信仰されている神である。
しかも、出雲の大国主神と同一・同格とされる男神のはずだ。

その大和の神が坊主である自分のところへ、女の姿で毎日話をしに来ていたとなると……。
玄賓は正直、困惑してしまった。

「実はそなたに救ってほしいものがあるのです」

「救う? 誰をです」

「わたくしの罪をです」

「罪ですと? 神がいかなる罪を犯したというのです」

「わたくしは、衆生を救うために人の姿となってやってきました。しかし……人の姿をしているが故に、しばし迷える人間そのものの心を持ってしまうのです。その罪をそなたに救ってほしい……」

「……」

坊主であるなら人を救うのが仕事であるが、神となると……。

(まいったのう。帝に大僧都になれと言われた時以上の難儀な問題じゃ)

「玄賓、どうか……」

三輪神の顔を玄賓はじっと見つめた。

三輪の神の表情は人の世では見慣れたものだった。

迷い、苦しみ、悲しみ……。

なぜか時の帝に、病の快復祈願を懇願された時のことを玄賓は思いだしていた。

「……いえ、その罪科は人間のものなのです。故にあなたの罪でもあるし、そうでもないともいえる」

三輪神は怪訝な顔をした。
納得していないようだった。

「迷える人間の心を持っていらっしゃるのは、衆生済度の方便なのです」

「方便……」

「そうです。方便……仏の教えでいう『悟りへ近づく』つまり人々を救い、悟りへ近づかせるその途中、人の姿をしているからには人間としての迷いを持って当然なのです。それゆえ、その罪は簡単に消せるものではございません」

「なるほど……」

すっと目を閉じ、三輪神は語り出した。

「わたくしは、この姿で、人間の女として、とある男神と恋に落ち、妻どいの婚姻を結びました。最初の内は毎日、わたくしの元にその方はやって来ました。でも、いつの頃かその方はわたくしの元に来てはくださらなくなった……」

「……」

「それが辛くて、悲しくて……」

(まてよ、似たような似てないような話を何処かで聞いたことがあるぞ……そうだ)

玄賓はある妻問の神話を思い出していた。

その神話では三輪の神は男で、ある姫の元に毎夜通っていた。姫は愛しい男性がどこの誰かも知らない。それで帰る男の後を追って、三輪神の正体……蛇の体を見ててしまい、驚きのあまり息絶えてしまうという話だ。

(皮肉なもんじゃな……神話の時とは立場が完全に逆なわけだ。しかし、大和の神とは奇妙なものだ。男になったり蛇になったり、女になったり……)

「そなたの思う通りです。玄賓」

ぎくりと玄賓は身を竦ませた。
心を読まれるとは思わなかったのである。

三輪神はゆるりと木陰から離れ、神楽を舞い始めた。

すると、三輪神の体は光り輝き始めた。

「これは……」

――天の岩戸を引き立てて、神は跡なく入り給へば、常闇の世と早なりぬ。

三輪神が舞っている演目は、あまりにも有名な、天の岩戸神話だった。

(天照大神は、弟の所業に恥じ入り、悲しみとともに岩戸にお隠れになった……要するに今の自分も悲しく恥ずかしい気持ちで一杯だということだろうか。いや、わしにはわからん……)

玄賓は考えることを止め、ただただ、神の荘厳な舞に見入っていた。

やがて舞が終わるころ、三諸山に朝日が差してきた。

三輪神は岩戸に隠れるかの如く、夜明けとともに消えていった。
ふわりと杉の木立から衣が玄賓の足下に落ちる。

玄賓はしばらくの間、放心して立ちつくしていた。

そして、ふと気がつく。

後ろに隠れていたはずの男の姿が何処にもないのである。

――ありがとう玄賓。
――そなたに苦しみを打ち明けただけでも、あの方の沈んだお心、少しは晴れたと思う。

どこからともなく、男の声が玄賓の頭の中で響いた。

――神であろうと人の姿をしてしまえば、人の迷いを持ってしまう、か

得心を得たような声でそう呟く男に対して、玄賓は思わず苦笑した。

「ははぁ、さては件の男神……最初から私を引きあわせる算段だったのですな?」

――はっはっは。さーせん。

それっきり、男の声はしなくなった。

「やれやれ。えらい疲れたわい」

玄賓は衣を拾い上げると、庵へ帰ろうとした。


「まあ面白いものをみせてもらった。しかし誰かに話しても信じないだろうなぁ」

玄賓は、三諸の山をしげしげと見上げるのだった。

おしまい。


思へば伊勢と三輪の神
一体分身の御事今更何と岩倉や

能の『三輪』が原作……です。

一応小説というか昔話風のお話にアレンジしてみました。

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